自分自身への危機管理2
話が前後しますが、私の仕事はソフトウェアの開発です。以前は幾つかの専門誌に連載を持っていて、複数の出版社の編集者と週に1度は飲みに出掛ける日々を過ごしていました。
業界の方々との面識も豊富で、サンプルは幾らでも提供して貰えましたし、技術的な交流の場も定期的に持っていました。非常に充実した環境を持っていた訳です。それが介護が始り、そうした誘いにも積極的には応じなくなってしまいました。
そして10年が経過して、業界の事なら何でも知っていた自分から過去にだけ詳しい自分になっていたのです。この10年間に新たな出会いもありましたし、新しい技術も学んではいましたが、ITの世界の変化は「介護を抱えて人と会う事が少なくなった」私には過酷でした。
この話はITに限った事では無いと思います。仕事漬けの毎日を送っていた人が介護を抱え、表向きは何とか対応したとしても出来なくなってしまったことが多いと思います。この出来なくなってしまった事が後々に大きなリスクになってしまう事は理解しておいて下さい。
ここからの話はフィクションでは無く、自分がかって経験したことが無い驚くべき変化に自分が身を置いた事実です。その中心にいた自分は、こんな事が本当に起こるのだと驚くばかりでした。
音を立てて崩れる
既に10年が経過した事ですから、多少前後の関係は違っているかもしれませんが、当時の私は複数の出版社と企業から仕事の依頼を受けて生活しておりました。同じ仕事をしている仲間の中では特に恵まれた存在だったかもしれません。
母親が体調を崩して入院したのが、年が明けて少々経ってからだったと思います。それから数ヶ月後にはレギュラーで書いていた月刊誌が休刊になりました。原稿料は借りていた3LDKの事務所の家賃程でしたので、結構な金額です。事務所経費が数カ月後には出なくなるという事実がまず訪れました。
当時、ある大手のシンクタンクとパートナーとして仕事をしていました。そのパートナーには自分が受注した仕事の中で開発そのもの以外の部分を幾つか任せていました。当時のシンクタンクにとって、ITを自社の強みにする事は非常に重要な課題でしたので、OJT(業務の中でのIT教育)が出来て不明点は私がフォローしてくれるという事で非常に有難かったように見えました。
シンクタンク自体には問題は無かったのですが、当時私にべったりだった担当者と突然連絡が途絶えました。会社に連絡したところ、秘書の女性と同時に円満退社したというのです。個人情報になりますので、自宅の連絡先などは一切教えて貰えませんし、連絡しても辞めたと言われればそれまでです。
放置すること数ヶ月後には、開発を進めていた企業から「システムのメンテナンスは別の会社に委託する事になったので、来月一杯で契約を打ち切ります」とその会社から親書が届きました。当然、何の話か分からずに担当者に封書で連絡を入れると、今度は代理人だという弁護士から「今後の一切の話し合いは弁護事務所が代行する」という書状が届きました。
ここまでプロテクトする理由は一体何のか?こちらに否があるのなら、改善要求を貰って改善となるのが普通ですから、彼らにとって何かこちらを切らなくてはならない事情が出来て、彼らは隠したい事があるのだろうと感じました。この開発を切られる事は今後の生活に取っても有り難くありませんし、母親の入院費をどうやって支払うのか?計画が立たないままに時だけが過ぎました。