帯状疱疹と癌(がん)
その後、帯状疱疹自体は収まり、足については半年間に渡ってリハビリを続けてはいたのですが、完全な回復は無理でした。一人暮らしでしたが、ヘルパーさんが入って「掃除、洗濯、入浴の介助」までお世話をしてくれたお陰で何とかそれから半年少々は無事に過ごせたのです。
年が明け、2月になった頃にセコムの救急から電話で起こされました。自宅で転倒し、動くことが出来なくなったというのです。どうも夕方転倒して、痛みはあったものの寝ていれば直ると本人は思ったそうですが、朝になっても激痛が続きどうしようも無くなったようです。電話で話をしましたが、あれ程弱気になった父親の声を生まれて初めて聞きました。
救急病院に搬送するとの事でしたので、行き先が決まったら教えて下さいと電話を切りました。それから1時間程度経ってから病院名を知らせる電話を貰い、病院に駆けつけました。この数年は毎年同じ時期に入院しますので、何を準備したら良いかも分かり、病院では書類をいつものように書き、市内のマーケットで必要な物を揃えて入院を終えました。
医師の所見では、転倒によって腰の骨を圧迫骨折しているとの事でした。治療方法は1週間程度でコルセットを作って装着し、数週間後にはリハビリを開始出来るとの事です。約一ヶ月で退院出来るとの事でしたが、元の状態に戻れるかは全く検討がつかない状態でした。
その後は、一月後に判で押したように病院を退院となったのですが、事前にリハビリの担当やソーシャルワーカーさんと話し合い、恐らく退院は出来ても一人での生活は今までのような訳には行かないだろうというのが一致した見解でしたので、病院に併設された老人健康福祉施設で半年程度過ごしませんかという話になりました。
老人健康福祉施設では父親は非常に快適に過ごしていましたが、基本的に退屈だったようで「絵の道具が欲しいとか本を送ってくれ」など様々な物をAmazonから送りました。Amazonに病院の住所を登録していて、自分よりも父親宛に荷物を送ることが多かったと思います。
この施設に入ってから、父親にある現象が見られました。体重が増えないのです。これはスタッフの方々も元気なのに体重が増えませんねと不思議に思って常々口にされてましたが、表向きは足の自由が効かないだけで健康に見えますので、そこで話は終わりでした。
老人健康福祉施設は永久に居る事ができませんので、次を探さなくてはなりません。偶然にも友人にグループホームのケースワーカーという人が居まして、相談したところが「自分の所で何とかしましょう」となりました。正に渡りに舟です。なかなか思うように空きが無く、半年程度待たされましたが比較的に私の自宅に近いグループホームに秋になり父親は入所出来ました。
グループホームに入所しても相変わらず絵を書いて、本を読んで過ごしていたようですが、以前よりも様々な事への拘りが薄れたようにも感じました。老化も理由なのでしょうが、実は水面下で面倒な問題が発生していた訳です。それはグループホームに入って2ヶ月少々、年明けすぐの出来事でした。外出中にグループホームから電話があって、昨日から父親の食欲が全く無くなったというものでした。
医師の診察によると大規模な病院で検査を受け、すぐに入院となるだろうとの事でした。血液検査の結果はまだなので、週明けに結果が出ると言われました。週明けになり、武蔵境の日赤に駆けつけました。昼過ぎから診察が始り、造影剤を入れてCTを撮影するので同意書に署名して欲しいと言われ「1000人に一人はショック症状になる」と説明を受けました。ただ造影剤を入れないと映らない物が恐らく原因だということで、仕方がありません。