自分への危機管理1

自分自身への危機管理1

介護生活を終えてからまだ大して時間が経っておりませんので、まだまだ多くの整理が残っています。銀行の事、不動産の事、保険の事、ささやかなものでもそれなりに面倒があります。

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この話は後にして、まず2年前に母親の介護が終わり幾つか気づいた事があります。介護に関わっていた10年間とそれまでで自分の生活に幾つかの違いがありました。まず必要が無いと積極的に出掛けなくなってしまっていました。介護自体に時間を取られる為に「遊ぶ=時間が無くなる」と無意識に思うようになっていたです。

これはまた「人と合う」事にも消極的になってしまっていまして、一種の引き篭もりに近い状態だったかもしれません。ITがあるから、出掛けなくても人と会わなくても情報が入ってくるという幻想に陥ってしまったのかもしれません。人と会う事が少なくなる事は色々な意味でマイナスだと理解しておく方が賢明だと思います。

少なくとも自分には親意外に家族が3人居ましたので、完全に人と会わなくなることはありませんが、毎週のように何処かで友人たちと食事をして遅くなって帰宅するような事は基本的に出来なくなりました。

毎日母親に昼食を運び、夕方近くには夕食の用意と朝食の用意をしていましたので、友人と会う場合は夕食の後から出掛けることになります。仕事先への訪問があると、昼前に3食を用意する事になりますので、非常に苦労しました。

食事の用意をしても本人が何をどう食べて良い物か?分からなくて食べて貰えなかったという申し訳なくて、残念だった事も何度かあったと記憶しています。やはり可哀想な事になってしまうので、外出はショートステイに行っている時だけにしようとなり、定期的に集まっていた仲間たちの会合にも出席しなくなってしまったのもこの頃からでした。

スポーツも出来なくなります

まとまった時間が無いと出来なくなるのは、仕事関係や友人たちとの集まりばかりでは無くて、スポーツも同様です。母親が体調を崩すまでは、週末は近くの修道院で小学生にサッカーを教えていました。
教える以上に自分自身の楽しみだった訳ですが、これもある事が切っ掛けで止める事になりました。母親が入院してまだ間も無い頃に、上級生のある子供から「先生、何か悩んでいるね?」と声を掛けられました。自分自身としては子供達の前では普通に振舞っているつもりでしたが、子供達と密接な関係で過ごしていた自分を勘が鋭い子供達には「いつもと違う先生」と見えたようです。
 
この事が理由で、子供達に悪い影響を及ぼす程では無いとは思いましたが、集中できない自分の状態や、結果的に母親の世話と自分の仕事の両立を考えるとボランティアでサッカーを教えている余裕が無い自分に気づきました。10年近くに及んだ子供達との関係はここで一旦幕引きにしましたが、学校に居場所が無い子供達が「ここには自分達の居場所があるから」と中学や高校に進学しても遊びに来てくれる場所でしたので、去る事は時間が経つ程に残念に思えてなりません。
 

10年経っても残る問題

親の世話と言っても結構手抜きでやっていたつもりでした。毎日の日常に何かしら影響があるとか、病院やケアマネさんとのやり取り、そしてショートステイや食事の世話など毎日の時も一年程度でした。仕事は仕事で影響を受けずに取り組んでいたつもりでした。少なくとも自分はやっているはずと考えていました。
親の介護に向き合う年齢は人によって多少違うと思いますが、50歳を過ぎてからという人が今は多いと思います。しかし少子高齢化が進み、親が子供を持つ年齢が高くなると事情はかなり違います。私の場合、当時としては比較的に高齢での出産でしたので、介護に向き合う事になったのは自分が40歳の半ばを過ぎた頃でした。正直10年早いなと感じました。ショートステイで迎えの車が来て「随分元気な方ですね、介護職員さんですか?」と聞かれた事もありました。他の方々は介護する方もそれなりの年齢の方が多いようで、確かに介護施設に訪問すると同年代の付き添いは少数でした。
 
比較的に若い時分は普通には一番仕事が多い時期でしたので、介護で気になる事があるだけでも仕事に影響していたのは事実だったと思います。ショートステイの前日には必要な書類を整理するとか、荷物の準備も必要になります。次の朝は8時過ぎには親の家に行かなくてはならないので、早目に寝るとか次の日が気になって仕事が十分に出来ない事も多かったようです。一つ一つは細かな事ですが、積極的に仕事が出来ない等といった影響がありました。新たな仕事を得る為には営業も必要ですが、あまり動かなくなったというのがありました。介護の事があると営業的な事は煩わしく、今は無理と自分に言い訳して動かなくなる訳です。
 
話が前後しましたが、私は自営業なので営業は必須です。長年続けている仕事があるので、それで何とかなっていましたが、基本的に受注して生産する仕事なので、受注先が何かの理由で仕事を出してくれなくなると、新たな受注先が必要になります。このサイクルが上手く行かないと収入は減ってしまいます。その現象は急にでは無く、時間が経過すると共に大きな問題となり現在に至っています。
 
介護を余裕を持って出来る人は少ないと思います。友人の医師を職業としてる立場でも介護の期間中は大変だったようで、その後は自分も躁鬱の薬を飲んでいるとの事でした。大変なのは様々な理由で特定は無理だと思います。近くのレストランは母親の介護を理由にレストラン自体を閉めてしまいました。考えようによっては余裕があるのか?(経済的に)とも思いました。仕事を持っている持っていないが介護には大きく関わります。会社に勤務している場合は収入は継続性があるかもしれませんが、社内での立場が苦しくなる方も多いでしょう。親を大切にすればする程に自分が大変になってしまう場合もあるという難しさが介護を抱える人々の共通の問題だと思います。